諏訪大社下社秋宮 ~諏訪市~
諏訪大社上社前宮 ・・・ 長野県茅野市宮川2030
諏訪大社上社本宮 ・・・ 長野県諏訪市中洲宮山1
諏訪大社下社春宮 ・・・ 長野県諏訪郡下諏訪町193
神楽殿

この神楽殿は幣拝殿の前に建てられ、梁行)柱間 3間(8.8m)、桁行 5間(13m)周囲に幅1.5mの切り目縁に擬宝珠勾欄をめぐらした平屋建である。前方の 3間は吹放ちの舞台であり、後方 2間は楽所(音楽を奏するところ)や拝殿となっている。棟がT字形になる撞木造に似た造りで、屋根は銅板葺である。したがって前方の舞台部分は切妻で妻入り、後方は平入りとなっている。工匠は二代立川和四郎富昌、この神楽殿は、天保 3年(1832)施工。
手水は
温泉なんです


『古事記』『先代旧事本紀』では、天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が大国主命に国譲りするように迫ったとされています。これに対して、大国主命の次男である建御名方命が国譲りに反対し、武甕槌命に相撲を挑んだが負けてしまい、諏訪まで逃れました。そして、その後は諏訪から他の地へ出ないこと、天津神の命に従うことを誓ったとされています。
諏訪一帯の遺跡分布の密度・出土する土器の豪華さは全国でも群を抜いていることから、この地の繁栄がうかがわれます。
ここは古くから軍神として崇敬されて、坂上田村麻呂が蝦夷征討の際に戦勝祈願をしたとも伝えられています。
狛犬

日本一大きいとされる青銅製の狛犬は、昭和の暗い歴史の中で数奇な運命に翻弄されてしまいました
製造は昭和5年11月3日ですが、昭和19年の第2次世界大戦中には薬莢を製造する為に国家に供出させられてしまいました。
その後、長い間この秋宮には狛犬が不在だったのです・・・。
終戦後、昭和35年10月吉日 有志によって青銅製の巨大な狛犬が鋳造され奉納されました
人一倍、平和を願う狛犬さまなのです

高さ約170cm

御社殿 重要文化財

御社殿は神楽殿の奥に位置します。
二重楼門造りの拝殿と左片拝殿、右片拝殿が横並び「諏訪造」と呼ばれる独自の配置です。
春宮と秋宮の現在の社殿は近い時代に前後して建立されたもので、前者は諏訪藩御大工の流れを組む大隅流柴宮長左衛門、後者は立川流初代 立川和四郎 富棟の作品です。
地元を代表する大工が互いに競い合い、流派の面目をかけた建築であり、華麗な彫刻も眼をみはるばかりです。
木鼻

彫刻





例大祭:遷座祭(お舟祭)

2月1日には秋宮から春宮にお遷した御霊代を春宮に戻す。
遷座の行列の後に大きな舟に翁媼二体の人形を乗せ数百人の氏子がその舟を曳くそうです。
見てみたいなぁ~
所在地:長野県諏訪郡下諏訪町5828
ご訪問、ありがとうございました


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諏訪大社上社本宮 ・・・ 長野県諏訪市中洲宮山1
諏訪大社下社春宮 ・・・ 長野県諏訪郡下諏訪町193
神楽殿

この神楽殿は幣拝殿の前に建てられ、梁行)柱間 3間(8.8m)、桁行 5間(13m)周囲に幅1.5mの切り目縁に擬宝珠勾欄をめぐらした平屋建である。前方の 3間は吹放ちの舞台であり、後方 2間は楽所(音楽を奏するところ)や拝殿となっている。棟がT字形になる撞木造に似た造りで、屋根は銅板葺である。したがって前方の舞台部分は切妻で妻入り、後方は平入りとなっている。工匠は二代立川和四郎富昌、この神楽殿は、天保 3年(1832)施工。
手水は




『古事記』『先代旧事本紀』では、天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が大国主命に国譲りするように迫ったとされています。これに対して、大国主命の次男である建御名方命が国譲りに反対し、武甕槌命に相撲を挑んだが負けてしまい、諏訪まで逃れました。そして、その後は諏訪から他の地へ出ないこと、天津神の命に従うことを誓ったとされています。
諏訪一帯の遺跡分布の密度・出土する土器の豪華さは全国でも群を抜いていることから、この地の繁栄がうかがわれます。
ここは古くから軍神として崇敬されて、坂上田村麻呂が蝦夷征討の際に戦勝祈願をしたとも伝えられています。
狛犬

日本一大きいとされる青銅製の狛犬は、昭和の暗い歴史の中で数奇な運命に翻弄されてしまいました
製造は昭和5年11月3日ですが、昭和19年の第2次世界大戦中には薬莢を製造する為に国家に供出させられてしまいました。
その後、長い間この秋宮には狛犬が不在だったのです・・・。
終戦後、昭和35年10月吉日 有志によって青銅製の巨大な狛犬が鋳造され奉納されました
人一倍、平和を願う狛犬さまなのです


高さ約170cm

御社殿 重要文化財

御社殿は神楽殿の奥に位置します。
二重楼門造りの拝殿と左片拝殿、右片拝殿が横並び「諏訪造」と呼ばれる独自の配置です。
春宮と秋宮の現在の社殿は近い時代に前後して建立されたもので、前者は諏訪藩御大工の流れを組む大隅流柴宮長左衛門、後者は立川流初代 立川和四郎 富棟の作品です。
地元を代表する大工が互いに競い合い、流派の面目をかけた建築であり、華麗な彫刻も眼をみはるばかりです。
木鼻

彫刻





例大祭:遷座祭(お舟祭)

2月1日には秋宮から春宮にお遷した御霊代を春宮に戻す。
遷座の行列の後に大きな舟に翁媼二体の人形を乗せ数百人の氏子がその舟を曳くそうです。
見てみたいなぁ~

所在地:長野県諏訪郡下諏訪町5828
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