善光寺 ~長野市~
◆山門(三門) 重要文化財

寛延3年(1750年)に建立された二層入母屋造りの門です。屋根は大正年間の葺き替え時に檜皮葺きとなりましたが、平成14年から19年にかけて行われた平成大修理において、建立当時と同じサワラの板を用いた栩葺き(とちぶき)に復原されました。
楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられています。これは通称「鳩字の額」と呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されています。更に「善」の一字が牛の顔に見えると言われ、「牛に引かれて善光寺参り」の信仰を如実に物語っています。
◆本堂前の香炉



◆参道の香炉


◆本堂

本堂は創建以来十数回もの火災に遭いましたが、そのたびに善光寺を慕う全国の信徒によって復興されてきました。現在の本堂は宝永4年(1707年)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。間口約24メートル、奥行き約54メートル、高さ約26メートルという国内有数の木造建築で、T字型の棟の形が鐘を叩く撞木(しゅもく)に似ていることから「撞木造り」と呼ばれています。屋根は総檜皮(ひわだ)葺きです。 最奥の瑠璃壇には、御本尊・一光三尊阿弥陀如来様をお祀りしています。
飛び狛


◆経蔵重要文化財

宝暦9年(1759年)に建立された宝形造りのお堂です。内部中央には八角の輪蔵があり、その中には仏教経典を網羅した『一切経』が収められています。輪蔵に付属している腕木を押し回すことでこの『一切経』を全て読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。また、経蔵内には輪蔵を考案した傅大士、並びに伝教・慈覚の両大師像が祀られています。
※経蔵は建物老朽化に伴う検査のため、当面の間、屋内に入っての参拝を停止しています。なにとぞご了承ください。
経堂に向かう道

背後に本堂が見えます。
◆日本忠霊殿・善光寺史料館

戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでに亡くなられた240万余柱の英霊を祀る、我が国唯一の仏式による霊廟です。御本尊は秘仏の善光寺如来様の分身仏です。(高村光雲門下 関野聖雲作)
1階には善光寺所蔵の什物を展示する「善光寺史料館」が併設され、絵馬などを通して全国に根付く善光寺信仰の歴史を垣間見ることができます。
資料館の前に独りの狛犬さまが、雪に埋もれていました。

こんな感じで。。。
◆鐘楼・梵鐘 重要美術品

嘉永6年(1853年)に再建された檜皮葺の建物で、南無阿弥陀仏の六字にちなんで6本の柱で建てられています。
梵鐘は寛文7年(1667年)鋳造の名鐘であり、重要美術品に指定されています。毎日午前10時から午後4時の毎正時に時を知らせる鐘として、更に長野オリンピックの開会を告げた鐘として親しまれています。
◆延命地蔵尊(如来堂跡)

仲見世通り中央西側に「如来堂旧地」という石碑があります。この地は善光寺草創以来、本尊壇があった場所であり、延命地蔵尊は現本堂落成から5年後の正徳2年(1712年)に造立されました。
当時の地蔵尊はその後の災害や供出により現存しておりませんが、現在は昭和二十四年に復興された地蔵尊が安置されています。

◆大勧進

大勧進の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、大本願の上人(しょうにん)と共に善光寺住職を兼ねています。
貫主は代々比叡山延暦寺より推挙される慣習になっており、毎朝善光寺本堂で行われるお朝事(お勤め)に出仕されます。
大勧進には本堂の万善堂の他、無量寿殿・不動堂・地蔵八角円堂・紫雲閣・宝物殿・僧侶が修行をする聖天堂などがあります。また、奥書院は明治天皇御巡幸以来、大正天皇、昭和天皇両陛下の御駐泊により、昭和八年に行在所に指定されました。
◆ぬれ仏(延命地蔵)

享保7年(1722年)に善光寺聖・法誉円信が全国から喜捨を集めて造立した延命地蔵尊です。
江戸の大火を出したといわれる八百屋お七の霊を慰めたものという伝承が伝えられているため、俗に「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれています。
銅製の獅子があちらこちらに・・・


松の枝に雪が積もっています。

◆雪の社号額

冬の善光寺
初めて行った、善光寺が雪でよかった。
素晴らしく 美しい姿が拝めました。
ありがとうございました
所在地:長野県長野市大字長野元善町491-イ
ご訪問、ありがとうございました


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(2013年1月に訪問)

寛延3年(1750年)に建立された二層入母屋造りの門です。屋根は大正年間の葺き替え時に檜皮葺きとなりましたが、平成14年から19年にかけて行われた平成大修理において、建立当時と同じサワラの板を用いた栩葺き(とちぶき)に復原されました。
楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられています。これは通称「鳩字の額」と呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されています。更に「善」の一字が牛の顔に見えると言われ、「牛に引かれて善光寺参り」の信仰を如実に物語っています。
◆本堂前の香炉



◆参道の香炉


◆本堂

本堂は創建以来十数回もの火災に遭いましたが、そのたびに善光寺を慕う全国の信徒によって復興されてきました。現在の本堂は宝永4年(1707年)の再建で、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。間口約24メートル、奥行き約54メートル、高さ約26メートルという国内有数の木造建築で、T字型の棟の形が鐘を叩く撞木(しゅもく)に似ていることから「撞木造り」と呼ばれています。屋根は総檜皮(ひわだ)葺きです。 最奥の瑠璃壇には、御本尊・一光三尊阿弥陀如来様をお祀りしています。
飛び狛


◆経蔵重要文化財

宝暦9年(1759年)に建立された宝形造りのお堂です。内部中央には八角の輪蔵があり、その中には仏教経典を網羅した『一切経』が収められています。輪蔵に付属している腕木を押し回すことでこの『一切経』を全て読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。また、経蔵内には輪蔵を考案した傅大士、並びに伝教・慈覚の両大師像が祀られています。
※経蔵は建物老朽化に伴う検査のため、当面の間、屋内に入っての参拝を停止しています。なにとぞご了承ください。
経堂に向かう道

背後に本堂が見えます。
◆日本忠霊殿・善光寺史料館

戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでに亡くなられた240万余柱の英霊を祀る、我が国唯一の仏式による霊廟です。御本尊は秘仏の善光寺如来様の分身仏です。(高村光雲門下 関野聖雲作)
1階には善光寺所蔵の什物を展示する「善光寺史料館」が併設され、絵馬などを通して全国に根付く善光寺信仰の歴史を垣間見ることができます。
資料館の前に独りの狛犬さまが、雪に埋もれていました。

こんな感じで。。。

◆鐘楼・梵鐘 重要美術品

嘉永6年(1853年)に再建された檜皮葺の建物で、南無阿弥陀仏の六字にちなんで6本の柱で建てられています。
梵鐘は寛文7年(1667年)鋳造の名鐘であり、重要美術品に指定されています。毎日午前10時から午後4時の毎正時に時を知らせる鐘として、更に長野オリンピックの開会を告げた鐘として親しまれています。
◆延命地蔵尊(如来堂跡)

仲見世通り中央西側に「如来堂旧地」という石碑があります。この地は善光寺草創以来、本尊壇があった場所であり、延命地蔵尊は現本堂落成から5年後の正徳2年(1712年)に造立されました。
当時の地蔵尊はその後の災害や供出により現存しておりませんが、現在は昭和二十四年に復興された地蔵尊が安置されています。

◆大勧進

大勧進の住職は貫主(かんす)と呼ばれ、大本願の上人(しょうにん)と共に善光寺住職を兼ねています。
貫主は代々比叡山延暦寺より推挙される慣習になっており、毎朝善光寺本堂で行われるお朝事(お勤め)に出仕されます。
大勧進には本堂の万善堂の他、無量寿殿・不動堂・地蔵八角円堂・紫雲閣・宝物殿・僧侶が修行をする聖天堂などがあります。また、奥書院は明治天皇御巡幸以来、大正天皇、昭和天皇両陛下の御駐泊により、昭和八年に行在所に指定されました。
◆ぬれ仏(延命地蔵)

享保7年(1722年)に善光寺聖・法誉円信が全国から喜捨を集めて造立した延命地蔵尊です。
江戸の大火を出したといわれる八百屋お七の霊を慰めたものという伝承が伝えられているため、俗に「八百屋お七のぬれ仏」とも呼ばれています。
銅製の獅子があちらこちらに・・・


松の枝に雪が積もっています。

◆雪の社号額

冬の善光寺
初めて行った、善光寺が雪でよかった。
素晴らしく 美しい姿が拝めました。
ありがとうございました

所在地:長野県長野市大字長野元善町491-イ
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