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柴又帝釈天 ~葛飾区柴又~

店先を通る参道(?)に、こんなかわいいオブジェ(?)がいらっしゃいました!お猿さんがいましたよ参道を人ゴミをかきわけて進むと、随神門が見えてきます近くにいながら、初めての訪問美しいですね◆鐘楼と手水舎喜見域、帝釈堂の外壁をめぐる10枚の胴羽目彫刻は法華経の説話に取材した入魂、細微な作品で、欅材の木彫は近世法華経美術の頂点をきわめている。当山16世日済上人の発願によって当代の名匠、加藤寅之助師が大正11...
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柴又八幡神社 ~葛飾区柴又~

◆神楽殿・手水舎◆拝殿この社殿の下が古墳跡。石室は本殿背後(北側)の嶋俣塚の所に露呈していたそうなので、本殿が墳丘の南斜面上に位置し、拝殿はその麓に建てられていたようです。でも今は、墳丘は削平され、とても古墳の上に建っているようには見えませんね。◆社殿裏の「嶋俣塚」「嶋俣」とは、奈良東大寺正倉院で見つかった、「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」に見える大島郷内の里名で、柴又のことではないかと推定されているもの...
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香取神社 ~葛飾区亀有~

◆環七側の鳥居◆アリオ側の鳥居◆狛亀???◆亀形瓦一対ここ旧亀有村は、「亀無」「亀梨」と呼ばれていたそうです。当時葛西御厨(神領の一種)の範囲と所領高を明記した応永5年(1398)の「下総国葛西御厨注文」や、北條氏や家臣に諸役を賦課するために各人の役高を記した永禄2年(1559)の「小田原衆所領役帳」にはいずれも「亀無」「亀梨」の記載があります。「亀有」となった由来は定かではありませんが、「なし」の意味を嫌った...
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日枝神社 ~葛飾区新宿~

幼稚園の前に社碑(?) 神社どこ???あったあった・・・新宿日枝神社は、永禄2年(1559)頃に創建したものと推定されます。戸時代には新宿町の鎮守、明治5年には郷社に列格しています。2008年本殿、神楽殿、山門鳥居等を一新しました。彫刻◆社号額この鈴がとぉ~っても美しい繊細な音を奏でるのです何度もなんどもシャリンシャリンしちゃいました◆手水舎水の注ぎ口はやっぱり日枝神社の神使であるお猿さんの親子。お母さんです...
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